信心深いといわれるけれど、けして信心深いわけじゃない
神様がいないと思うわけじゃないし、信仰は大切だとおもう
わかるような、わからないような
でも、大事って事は分かる、神様ってわたしにとってそんなものだ
これがおとうさんだと、もっと分かりやすい
人間の神様は、人間の神様
自分達が信仰するものとはまた別のものだ
おかあさんだったら、何ていっただろう?
さて、そんなことを考えるきっかけになったのは、聖堂でコノハさんと話したからだ。
コノハさんは、シスターさん
そして、聖堂が特別な本当の意味というのを教えてくれた。
聖堂に何かがあるから大事というわけではないらしい。
その人にとって、聖堂が大事な何か理由があって初めて、聖堂が大切な場所になるらしい。
それは、思い出とかそういうかんじの。
わたしはなんとなく、聖堂は神様が居るから大事なんだと思っていた。
でも、お祈りは何処だって出来るし、大事な本質はそういうことじゃないんだって。
少し難しいけれど、わかるような、わからないような。
でも、わたしにとっても個人的な理由で聖堂っていうのは大事だ
最初は聖堂の空気が、特別な感じがしたけれど
コノハさんの言葉を聞いて考え直すと、ここで会った人や交わした言葉があるから特別なのかもしれない
それから、自分を貫くことが大事だともいってた。
思ったことを全部行動するのではなく、自分で考えて行動すること
それもまた自分を貫くことなんだとか。
思うことと、考えること、両方なくちゃだめなんだとか。
それもやっぱり、難しい…かな。
【山頂の大聖堂:コノハ】
PR
この記事にコメントする
カウンター
プロフィール
HN:
ウルリーカ
性別:
女性
自己紹介:
凍土で休養中
【ステータス】
治りかけ。
【ステータス】
治りかけ。
最新記事
(12/14)
(04/15)
(03/30)
(03/29)
(03/29)
メッセージが送れます
リンク